皆さんは運命の出会いを信じますか?
自分自身の命の灯が消えかけていた時、運命の出会いは訪れました‥。
そのお話を今日はしたいと思います。
目次
どん底の人生と生きがいだった愛犬、そして離別
大阪で生まれ43年間暮らしましたが、長年勤めた会社を退職したあと体調を崩し、新しい仕事もうまくいかず、まさに人生のどん底でした。
結婚はしていましたが子供はできなかったため、子犬の時にうちにやってきたトイプードルの女の子を自分の子供のように可愛がりました。
若いころから自分に子供ができたらなんと名付けようか‥男の子なら?女の子なら?と、いつか出会えるであろう我が子を夢見て名前を決めていました。
「男の子なら永遠(とわ)」、「女の子なら瑠璃(るり)」がいいなとずっと前からその名前をすごく気に入っていて‥いつの日か自分に子供ができたら必ずその名前にしようと決めていました。
でも何年経っても自分に子供はできませんでした。身体的にも経済的にもきっと子供を持てない自分だったのだと思います。
そうしているうちに体調もどんどん悪くなり、仕事にも行けなくなり、ついには離婚するまでになってしまい‥もう生きているのが毎日地獄のようでした。
でも自分には唯一トイプードルの愛娘だけが生きがいでした。
その子はすごく優しい子で、パピーのころから周りのわんちゃんたちともすごくフレンドリーに接する子で、お散歩に行くといつもお腹を見せて仲良くしようとするようなとっても優しくて可愛い子です。
女の子でしたからお洋服もいっぱい買いましたし、トリミングもうまくカットしてくれるお店を探し求めていろいろなお店に行きました。
しんどいながらも仕事から戻ったらその子がいるということだけが嬉しくて家に帰るのを楽しみにして頑張りました。
それでも最後は‥ついにその子と離れ離れになることに‥。
死にかけていた自分・生きるため新天地へ
命の灯が消えようとしていた自分‥毎日死ぬことばかり考えていました。
そんな時、わんこのつながりで東北仙台の人と知り合うことに‥。
次第にここにいては自分はもう立ち直れないと思うようになり、43年間暮らした大阪を離れる決心をしました。
今までほかの土地で暮らしたこともなく、子供のころからホームシックの激しい子供でしたから、引っ越して間もない頃は毎日悲しくて寂しくて心細くて‥。
でもその後、結婚する今の奥さんに支えられ、なんとか新しい土地で頑張ろうと、新天地東北で生きていく覚悟を決めました。
そうは言っても離れ離れになった愛娘トイプードルのことが忘れられず、毎日スマホでその子の写真ばかり眺めていました。
「もう二度と会えないんだな‥」そう思うと気が狂いそうになるほど胸が締め付けられ‥でも乗り越えないといけないと、違うことを考えるようにしました。
心に架かるのは君と僕だけの運命の虹
仙台に住むようになってしばらくした頃、ふと地元の動物愛護センターのサイトに目をやりました。寂しかったからでしょうか?知らぬ間にトイプードルが写っている写真ばかりを検索しているうちにそのサイトにたどりつきました。
そこに何頭かのわんちゃんが載っていて、まさに飼い主募集中の譲渡対象の子たちがサイトに載せられていました。
「No.〇〇〇〇」みたいに番号で書かれていて、なんか囚人みたいだなと思ってしまいました。見た目はそんなに可愛くなくて、でもなんとなくその子が気になり、奥さんに話すと、「今度見に行ってみる?」という話になり、早速動物愛護センターに電話して譲渡会に参加してみることにしました。
ただ見に行くだけのほぼ冷やかしのつもりで行くことにしましたが、当日は8組ぐらいのご家族が譲渡会に参加しているのを見て、なんだか急にそわそわしてしまい、さらにあのネットで見たトイプーちゃんが気になり始めました。
譲渡会はまさに人間でいうお見合い、マッチングで、フリータイムがあって気になる子と触れ合ったあと、実際に家族になれるかどうかはセンターの職員さんが、家族環境やその子の年齢・体調、性格などを総合的に判断して決めるというものでした。
譲渡会が始まるまで部屋の中に参加家族が集まり、そこから窓越しに見える中庭をわんちゃんたちが左から右に横切って登場するという演出だったと思います。
その日はたしか5,6頭いたと思うのですが、順番に左から右へ中庭を通り抜けていきます。
なんだかドキドキしながら中庭を見ていると、ほかの人もみんな声を上げてのぞき込んでいて‥
「あの子はいるのかな?何番目だろう‥」
順番に歩いてくるわんちゃんたち、その一番最後に茶色の小さなトイプードルが跳ねるように通り過ぎたその時‥
きっと自分だけにしか見えなかったのだと思いますが‥その子のすぐ目の前に小さな虹が架かったのです。
それはそれは小さな虹で‥まるでその子の体の大きさに合わせたような小さな虹です。
でも自分にはたしかにその虹が見えたんです。
そして職員さんから中庭に入ってくださいという合図があり、家族みんな中庭に入っていきました。
その虹を見た瞬間から自分は、「なんとしてもこの子を連れて帰らないと!この子は運命の子だ!」
そう思った自分はすごい行動に出ました。誰にもその子に触らせまいと、その子の前にずっと張り付くことに決めたのです。もう恥も外聞もありません。「こいつおかしいやつだな!」と思われたってかまわない。だって運命の子なんですもん。
30分ほどのフリータイムがものすごく長く感じ‥ようやく終了の合図が。
職員さんやほかのご家族からも苦笑いが起きるほどでした。
そしてわんちゃんたちはお部屋に戻り、家族たちは元の部屋で最後に職員さんからの結果報告を待っています。
しばらくして職員さんが部屋に入ってきて‥ホワイトボードに家族とわんちゃんの名前が書かれていきます。
信じていたけど、もしかしたらやっぱりだめかも‥あれだけアピールしたけど‥
心配であきらめかけたその時‥自分の名前とその子の名前がホワイトボードに書かれました!
思わず、「やった!やった!」と大声を出してガッツポーズして喜んだのを今でも覚えています。
その子の名前はいうまでもありません‥「とわ」です。
人間なら漢字にしなければと思っていましたが、わんこなのでひらがなで「とわ」と名付けました。
*下の画像はその時のイメージを忘れないように自分で作ったものです。
とわは自分、自分はとわ・ぼろ雑巾親子の誕生
とわは生まれて8か月で仙台の産業道路付近に捨てられ、放浪しているところを保護されました。
発見当時の写真を見せてもらいましたが、まるでぼろ雑巾のようで、見るに堪えない姿でした。
うちの子になって数日はとにかく心拍数が高く、ものすごい脈拍数だったため、あまりに心配でセンターや病院に電話しまくったのを覚えています。
きっととわも不安と恐怖でいっぱいだったのだと思います。この子をなんとしても守らなければという気持ちが、自分自身の絶望した心をいつしか前に向かせるようになっていきました。
とわは放浪の間、飢えと渇きに耐えていたのでしょう‥食べ物を目の前に出すと、よだれを垂らしてうなり始めました。小さな生まれてまもないパピー犬の姿とは到底思えないほど凶暴な姿に見えました。そしてその姿に涙が出そうになりました。
何年かは食べ物を見せる度によだれをたらしてうなるのを続けましたが、時を重ねるにつれ次第に穏やかな表情になっていきました。
まるでぼろ雑巾のようなとわは、大阪から仙台に来た、これまたぼろ雑巾のような自分とそっくりで、とわが自分のように感じ、その日から「とわは自分、自分はとわ」と思うほどお互いを思いあうようになりました。
すぐ怒るところも、ガラスのハートも、疑心暗鬼になるところも‥全部自分とそっくりで、まるで自分のお腹から生まれてきたような、そんな思いにさせるほどとわは自分にそっくりです。
まさにあの中庭で見た虹は自分にとって運命の「虹」だったのです。
虹の架かる場所に出会いがある
そのあと数年後にうちの奥さんがずっと愛してきた黒柴アニキが旅立つことに‥
アニキの話は違うコラムでまた書きますが、うちの家にアニキとバトンタッチしてやってきた子がいます。
その子の名は黒柴「るり」‥ハイトーンボイスの黒柴娘です。
この子も不思議な縁があってうちの子に迎えることになりましたが、お迎えにいった日の車の中から空を見上げると、綺麗な虹が出ていました。
「この子も運命の子だね」と帰りの車の中で話しました。
自分が若い頃、夢に描いた我が子‥人間の子供ではなかったけど、わんことなって自分のもとへやってきてくれました。
自分の思い描いた夢、「とわ」と「るり」がうちの子供になってくれたのです。
よく「虹の架かる場所に出会いがある」という話を耳にしたことがあります。
私が今住んでいる滋賀県のびわ湖は、日本で最も虹がよく出るところだそうです。
そして時を経て私は今、ペットを天国へと送り出すペット葬祭事業の仕事をしています。
最愛のペットちゃんとお別れをしなければならないご家族様の心を少しでも癒したいという想いで日々取り組んでいますが、その中で私はこのとわとの小さな虹の話をするのです。
どんなに辛いお別れがあったとしても、どんなに心なくすような出来事があったとしても、あきらめずに生きてさえいれば‥目の前に小さな虹が架かることがあると‥
日本中で一番虹が出るというびわ湖にいるのだから、必ず目の前に運命の虹が架かると‥
どうかこれを読まれたペットロスで苦しんでいるあなたも、あきらめずに虹を探してみてください。
必ずあなたとその子だけに架かる運命の虹があらわれますから‥
【滋賀のペット火葬・葬儀ならとわの虹 ペットメモリアル滋賀】
24時間電話・LINE受付
TEL 0120-992-003