ペットを飼っている方なら、誰しもペットロスを経験するといっても過言ではないでしょう。
そこで考えるのが、「早くペットロスから抜け出したい」ということではないでしょうか。
確かに、世の中には「ペットロスからの抜け出し方」のようなハウツーがたくさんあります。しかし私は少し違和感を覚えます。「抜け出すことが正しい」という風潮に、どうしても疑問を感じてしまうのです。
我が子のようにかわいがったペットがいなくなってしまうと、心に穴が開き、いつもの景色も急に色あせて見えるもの……。人によっては、生活に支障がでるほど深刻な症状になることも珍しくありません。
以前、なにかで「ペットロスは永遠にペットロスのままでいい」という言葉を耳にしたことがあります。抜け出すのではなく、「そのまま」を許容するこの言葉……。
今のペットとの出会いで約20年間のペットロスに終止符を打った私ですが、心の痛みはいまだに残っています。でも、私にはこれで良いのです。痛みがあることで、ペットとの日々を忘れずにいられるのですから。
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ペットの死は飼い主にとって大きなダメージになる
歌手の長渕剛さん。以前なにかの番組で語っていたペットロスの経験談は、胸がしめつけられるほどに壮絶なものでした。
長渕さんは、愛犬が亡くなったとき、一緒に死のうと思ったそうです。
これはご両親が亡くなったときでさえ感じなかった気持ちで、喪失感と絶望で前が見えなくなったとか。
彼は、愛犬の遺骨や遺毛をペンダントにしました。「こうでもしないと生きていけない」と、未だにペットロスの悲しみが癒えていないことを語っていたのです。
ペットの死は、飼い主にとって大きなダメージになります。一緒に過ごした時間が長いほど、また築いた絆が深いほど、目の前が真っ暗になるでしょう。
ペットロスから回復するまでの期間は、人それぞれです。数日で涙をぬぐう方もいれば、いつまでも傷が癒えない方もいます。私自身、ペットロスに苦しんでいる間、「時間が解決してくれるよ」とたくさんの方が声をかけてくれました。でも、毎日つらくて、苦しくて……私のペットロスは、約20年も続いたのです。
他界したペットに対して、私は十分な愛情を注いであげられなかったことを悔やんでいました。普段は忘れたふりをして過ごしていても、心のどこかではずっと影が付いてまわり、胸が苦しくなるのです。
「私はあの子を苦しめたのに、私だけ普通に暮らしていいわけがない。私は幸せになってはいけない人間だ」と、自虐にも似た心境で、自分で自分の首を絞め続けました。そして、いつも思ったのです。「早くペットロスから抜け出したい」と。
そんなときに耳にしたのが、「ペットロスは永遠にペットロスのままでいい」という言葉。
ペットロスから抜け出すのではなく、悲しみも苦しみもありのままに受け入れて、痛みと共に生きる……。この言葉は、私にとって大きな衝撃でした。「抜け出すか」「苦しむか」の2択しかないと思い込んでいましたが、もうひとつの選択肢が提示されたような気がしたのです。
それはまるで、ずっとかみ合わなかったパズルのピースがぴたっとはまったような感覚。
「痛みと共に生きる」、それこそが私に必要なことでした。
亡くなった愛犬をひと言で表現するなら、「誰からも愛されない犬」。
母が成り行きで迎え入れたものの、あまり世話をせず、次第に邪魔者扱いをして、最後には自宅から離れた作業場に移動させました。そこは誰も来ないような場所です。どれほど寂しかったか、どれほど散歩したかったか、どれほど私たちを待ち続けたか……。想像するだけで今でも胸が締め付けられます。
しかし本当に苦しい思いをしたのは、私なんかではなく、愛犬だったはずです。愛犬が亡くなってペットロスになった私ですが、ふとした瞬間にこう感じて怖くなります。「ペットロスを乗り越えるということは、愛犬を忘れることになるのでは?」と。
今のペット2匹に出会って、私の長いペットロスは落ち着きました。しかし、亡くなった愛犬を忘れることはないでしょう。
「邪魔者」にされてきた犬だったから、思い出が少ないうえ、写真もほとんど残っていません。でも、だからこそ、この痛みがあることで、愛犬の存在を覚えていられるのです。
私にとって、ペットロスから完全に立ち直るということは、愛犬に関する記憶がほとんどなくなるということに他なりません。
「忘れない」、それが私なりの愛犬への供養です。
あの子の居場所は、いつでも私の中にあります。痛みがそれを教えてくれます。
私が笑えば、あの子も笑う気がします。私が泣けば、寄り添ってくれる気がします。私たちはひとつになって、一緒に人生を歩んでいくのです。
ペットロスは永遠にペットロスのままでいい
ペットロスは一般的に、ネガティブなイメージになりがちです。
心や体に不調をきたし、それがいつまで続くのかもわからない。「早く抜け出したい」と思うのは当然でしょう。
しかし私の経験では、ペットロスは必ずしもネガティブなものとは限らない気がします。なぜなら、あの経験があったからこそ、「今の私」がいるから。
私がペット火葬業をはじめた理由は、ペットロスから立ち直るきっかけをくれた動物たちに恩返しをするためです。動物との死別がきっかけでペットロスになりましたが、それは新しい動物との出会いで終わりを迎えました。
私にとって動物は、人生を左右するほどに大切な存在です。だから、動物たちに恩返しがしたいのです。動物たちができるだけ安らかに旅立てるように、またその動物たちが愛したご家族様の心をできるだけ癒せるように……。
「ペットロスは永遠にペットロスのままでいい」
この言葉を抱きながら振り返ると、ペットロスを経験したからこそ、「今の私」があるといえます。
もし私がペットロスになっていなかったら、今の仕事に就いていなかったかもしれないし、心やさしいご家族様たちと縁をつむぐこともなかったかもしれません。そう考えると、すべてが大きな運命の歯車によって導かれている気さえします。
つらく苦しかった20年間。もし当時の私に声をかけられるのなら、たった一言……「ペットロスは永遠にペットロスのままでいい」。
ペットロスの経験が、今の私をつくりあげました。今の仕事に就けました。新しいペットたちと出会えました。
無理に乗り越えようとせず、あるがままに。
そこから切り開かれる未来もあるはず、と私は思うのです。
ペットの死に立ち会う私に、今できること
私はペット火葬業に従事しているので、毎日のように動物たちとの別れの場面に立ち会います。
今の自分にできることは、最愛のペットを亡くされたご家族様のつらいお気持ちに寄り添うこと。
後悔のないお見送りをしていただくこと。
ペットのお話をたくさん聞き、心を和ませること。
それでも、ご家族様の心の傷を完全に取り除くのは難しいでしょう。
自分の無力さにもどかしい気持ちになりますが、ペットロスの悲しみが簡単に癒せるものではないことは、私自身が身を持って知っています。
だから私は、できる限り精一杯ご家族様の心に寄り添うことを心がけています。
「ペットが亡くなったことはつらいけれど、話していたら少し気が紛れた」と感じていただけたら、これ以上の喜びはありません。
無理に笑おうとしなくて大丈夫です。等身大のあなたのまま、少しだけ心をゆだねてください。
あなたの涙が、いつ乾くかはわかりません。でも、悲しみも苦しみもすべて、あなたの一部として溶けていき、進むべき道をそっと照らしてくれるはずです。
「がんばれ」なんて言いません。がんばらなくて良いのです。そのままで、良いのです。
まとめ
最愛のペットとの別れは、誰でもつらいものです。
私は愛犬2匹を我が子のようにかわいがっていますが、いつか別れが訪れる日のことを考えると……恐怖、不安、混乱、いくつもの感情が混ざり合って息が詰まります。
そのときは、おそらく、私が私ではいられなくなる気がします。
ペットロスに直面して、社会生活さえ満足に送れないかもしれません……。
しかし、ペットの体はなくなっても、ペットの魂は「痛み」として私の中にずっと残ります。だからこそ私は、どれほど悲しみに打ちひしがれていても、「ペットロスに苦しむ自分」をまるごと受け止めたいです。
痛みを取り払うのではく、痛みと共に生きるという選択肢。
悲しみも苦しみも自分の一部であり、それが思わぬ運命を切り開く可能性もあるということ。
「ペットロスは永遠にペットロスのままでいい」
それは大切なペットのことを忘れないこと。
「君を忘れない…」それが私のできるあなたへの償いです。
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